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ISIS本座は「お題が出る」Webサイトです。そのメインスタジアムこそが本座BOU(房)に建設予定の「お題場スタジアム(仮称)」なのです。現在、スタジアムの建設予定地では、はやくも、地ならしならぬ「知ならし」がはじまっています。招待された先住メンバーによるお題バトルの様子を、ここでちょこっと覗き見。オープンの日をお楽しみに!

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お題場スタジアム

0029【木】イワン・イワノビッチ氏の生涯

[蟲喰千本温泉]
2009年11月28日

蟲喰千本温泉手題でございます。
覗き窓からの観泉には慣れましたか?
本座BOU(房)先住民のみなさんの赤裸々な姿が・・・うふふ

当館の濃厚な湯気で顔面湯あたりしてませんか~

さて、今回も毎週金曜日の「黄金蟲の湯」ではなく、
ワタクシ手題のお気に入りの湯を1つご紹介・・・

この湯は、お題尽が突然、韓国に旅立ったかと思うと、
帰ってきていきなり出した、謎のロシア人に関するお題・・・
さて、どんな奇想天外な物語になったのか???

(11月19日(木)木喰蟲の湯より)

~~~~~~~以下、お題尽より~~~~~~~~~~

いやはや、インフルエンザにかからないように、
飛行機で成田まで息を止めていたら、
富士山のあたりで気絶してしまったぞ。大変な旅でありました。
さて、本日からまたシュクシュクとまいりませう。

 

お題:横浜市在住のロシア人「イワン・イワノビッチ」さんの
プロフィールを完成させなさい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・1909年(0歳)ブラゴベシチェンスクに生まれる
・1910年(1歳)ハバロフスクに移住
・1914年(5歳)横浜に移住

・[  ]年( 歳)[         ]

2009年(100歳)横浜アリーナで100歳祝賀記念パーティー開催。
ますます元気。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・以上、その波乱万丈の生涯を記してください。
・・・好きな年の出来事でよろしい。順不同でも可。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【手題】というわけでみなさんの研究成果をまとめてみましたが・・・

・1909年(0歳)ブラゴベシチェンスクに生まれる
・1910年(1歳)ハバロフクスに移住
・1914年(5歳)横浜に移住
・1914年(5歳)ガヴリロ・プリンツィプと名乗ってフランツ・フェルディナンド大公を暗殺、
__第一次大戦へと発展する【墺】<岡村>
・1915年(6歳)地元横浜の小学校に入学。
__不老不死病に冒されていることがわかる。<對間>
・1915年(6歳)[滑って転んで頭を打って、仮死状態となる<岡村>
・1917年(8歳)トロツキーの名前でロシア10月革命に関わる【露】]<岡村>
・1919年(10歳)横浜中華街でピロシキが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>

・1920年(11歳)アドルフ某としてドイツ労働党を国家社会主義ドイツ労働者党に
__名称変更。ナチス成立【独】<岡村>
・1924年(15歳)横浜中華街でボルシチが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1925年(16歳)横浜露語学会でロシア語を教授する<高宮>
・1925年(16歳)神戸に移住]<大沼>
・1927年(18歳)弘前高等学校文科甲類入学。太宰治と出会う]
・1929年(20歳)神戸中華街でピロシキが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1929年(20歳)太宰と小倉旅行中に無銭飲食で小倉刑務所に留置。
__「アカの容疑」で留置中の松本清張と意気投合<太田>
・1929年(20歳)映画にはまり毎日映画を見て暮らす<内倉>

・1931年(22歳)太宰と共に入学した東京帝国大学で中島敦と親交<太田>
・1934年(25歳)神戸中華街でボルシチが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1935年(26歳)長崎に移住<大沼>
・1936年(27歳)モロゾフが設立した神戸モロゾフ製菓に就職し、
__バレンタイン広告を出稿する。<野秋>
・1937年(28歳)朝日新聞西部支社広告部意匠係で
__臨時嘱託になった松本清張と再会し、太宰・中島らと「死人の会」結成
__・・・「死人の会」は明治42年生まれの「42」から<太田>
・1938年(29歳)映画「愛染かつら」を見て田中絹代、上原 謙のファンになる<内倉>
・1939年(30歳)長崎中華街でピロシキが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>

・1942年(33歳)ド・ゴールの自由フランス軍にレジスタンスとして活動。
__そこで知り合ったシモーヌ・ヴェイユが「死人の会」参加<太田>
・1942年(33歳)木村恵吾監督の『歌う狸御殿』に出演した、キートンばりの演技で
__好評を博した益田喜頓を敬愛する<内倉>
・1944年(35歳)長崎中華街でボルシチが食べれるようにお願いしたが、

__断られる]<大沼>
・1945年(36歳)東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された
__森本薫作『女の一生』の杉村春子に身震いをする<内倉>
・1945年(36歳)米軍捕虜としてレイテ島収容所に収容中に大岡昇平と意気投合し、
__大岡昇平が「死人の会」に参加<太田>
・1945年(36歳)しつこいので、モスクワに強制移住]<大沼>
・1948年(39歳)淀川長治の「『映画の友』友の会」に参加し親交を深め
__淀川長治が「死人の会」に参加<太田><内倉>
・1948年(40歳)ボーイソブラノを買われ、ウィーン少年合唱団に入団し、
__活躍する。<對間>
・1949年(40歳)『映画の友』編集部の小森和子が「死人の会」に参加。
__小森和子と恋愛関係にあったという説も<太田>
・1949年(40歳)赤の広場で肉まんが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼> 

・1950年(41歳)腸結核で療養中、隣のベッドの埴谷雄高と意気投合し
__埴谷雄高が「死人の会」に参加<太田>
・1954年(45歳)赤の広場で雲呑麺が食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1955年(46歳)河野一郎農相と訪ソ、漁業交渉を妥結させる<高宮>
・1955年(46歳)あまりにしつこいので、刑務所に強制投獄<大沼>
・1956年(47歳)吉本隆明と戦争責任をめぐって論争中の花田清輝を応援し、
__花田清輝が「死人の会」に参加]<太田>
・1956年(47歳)鳩山首相に同行してモスクワに赴き
__「日ソ共同宣言」に署名実現させる<高宮>
・1958年(49歳)新宿の伊勢丹で、メリーチョコレートのバレンタインセールに遭遇し、
__思わず買ってしまう。<野秋>
・1958年(49歳)ソ連から「ボリショイサーカス」興行大成功<高宮>
・1959年(50歳)刑務所で肉まんが食べれるようにお願いしたが、断られる]<大沼>

・1960年(51歳)薬師寺で修行中に『古寺巡礼』を撮影中の土門拳と意気投合し、
__土門拳が「死人の会」に参加]<太田>
・1961年(52歳)童話作家の花岡大学が「死人の会」に参加<太田>
・1962年(53歳)漫画家の横山隆一が「死人の会」に参加<太田>
・1962年(53歳)ジョン・レノンという別名でビートルズ、デビュー【英】<岡村>
・1964年(55歳)刑務所で雲呑麺が食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1965年(56歳)とにかくしつこいので、北京に強制移住<大沼>
・1965年(56歳)「大相撲」ソ連公演を実現。モスクワとハバロフスク巡業<高宮>
・1968年(59歳)変声期。ウィーン少年合唱団を退団。<對間>
・1968年(59歳)「ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)」プロデュース<佐藤>
・1969年(60歳)天安門広場でピロシキが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1969年(60歳)還暦。小学校留年をくり返し、この年卒業。同い年の校長より、
__卒業証書を受けとる。横浜の中学校に入学。<對間>

・1971年(62歳)「よこはま・たそがれ(五木ひろし)」プロデュース<佐藤>
・1973年(64歳)田中角栄首相と訪ソ、ブレジネフソ連共産党書記長と会談、
__「日ソ共同声明」を発表する<高宮>
・1974年(65歳)天安門広場でボルシチが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・1975年(66歳)いい加減しつこいので、チベットに強制移住<大沼>
・1975年(66歳)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)」
__プロデュース<佐藤>
・1977年(68歳)3月21日「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と
__見舞いに来た者に尋ねたという田中絹代さんが死んだので慟哭する<内倉>
・1979年(70歳)イシス編集学校に入門。中学2年生にして、70才、
__イシス史上最年少にして最年長の学衆の誕生。<對間>
・1979年(70歳)エベレストでカレーパンが食べれるようにお願いしたが、
__店がないので断られる<大沼>

・1982年(73歳)「恋人も濡れる街角(中村雅俊)」プロデュース<佐藤>
・1984年(75歳)エベレストでスープカレーが食べれるようにお願いしたが、
__店がないので断られる<大沼>
・1985年(76歳)どうにもしつこいので、竹島に強制移住<大沼>
・1989年(80歳)竹島でチヂミが食べれるようにお願いしたが、
__諸般の事情で断られる<大沼>
・1989年(80歳)「ふりむけばヨコハマ(マルシア)」プロデュース<佐藤>

・1991年(82歳)11月23日国鉄(現・JR)「フルムーンキャンペーン」のCMに
__往年の大スターが温泉につかるシーンでセンセーションを起こした
__天下の二枚目スター上原 謙さんが死んだので慟哭する<内倉>
・1993年(84歳)12月1日浅草寺境内の「喜劇人の碑」にその名を残す益田喜頓さんが
__死んだので慟哭する<内倉>
・1994年(85歳)竹島で参鶏湯が食べれるようにお願いしたが、
__諸般の事情で断られる<大沼>
・1995年(86歳)やっぱりしつこいので、横浜に強制移住<大沼>
・1997年(88歳)米寿を記念して、中学校生徒会長に立候補。
__キャリアと人望が認められ、みごと当選。<對間>
・1997年(88歳)4月4日終生、外反母趾であった女優杉村春子さんが
__死んだので慟哭する<内倉>
・1998年(89歳)11月11日映画解説のサヨナラおじさんとして親しまれた
__淀川 長治さんが死んだので慟哭する<内倉>
・1998年(89歳)小渕恵三と訪ソ、ソ連崩壊後のロシア連邦を公式訪問<高宮>
・1998年(89歳)ゆずメジャーデビューに大きく貢献<佐藤>
・1999年(90歳)留年をくり返し、中学卒業。体格がよかったため、相撲部屋から
__スカウトされ、厳しい修行生活が始まる。<對間>
・1999年(90歳)横浜中華街でピロシキが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>

・2004年(95歳)横浜中華街でボルシチが食べれるようにお願いしたが、断られる<大沼>
・2006年(97歳)バレンタインデーにチョコレートをもらえなくなったので、
__自分から配ることを思いつき、バレンクロースと名乗る。<野秋>
・2008年(99歳)初優勝。大相撲史上最年長外国人横綱『露岩』が誕生。<對間>
・2008年(99歳)横浜スタジアムで白寿祝賀記念パーティー開催しようとしたが、
__断られる<大沼>
・2008年(99歳)自分の愛した「映画人100歳」を出版する<内倉>
・2008年(99歳)告白本を執筆、その他全ての出来事を暴露【米】<岡村>
・2008年(99歳)ふとしたきっかけで93年ぶりに目を覚まし、一躍時の人になる<岡村>
・2009年(100歳)横浜アリーナで100歳祝賀記念パーティー開催。ますます元気。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【お題尽】結局、5歳で第一次大戦を起こして、小学校に入ったとたん、
不老不死病にかかったまま気を失い、2008年まで時代とシンクロした
夢を見続けて、99歳のとき、転んで気を失った5歳当時の肉体のまま、
目覚めた・・・おそろしいのう。

【手題】波乱万丈、神出鬼没のイワン・イワノビッチ!
その生涯は夢だったのかぁ・・・深いなぁ
・・・
【手題】お題尽、このシナリオ、
来年の24時間正月ドラマに売りに行きましょう!

【お題尽】東京12チャンネルか!
わかった。神谷町まで切符二枚、買っておいてくれたまへ!

【手題】お題尽、その前にもう1つ・・・
イワン・イワノビッチのもう1つの生涯が・・・
実は、菊池しのぶさんの超大作・・・イヤ超長湯が・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・1909年(0歳)ロシア人通信技師の父、中国少数民族系の母のもと、
__ブラゴベシチェンスクに生まれる。
・1910年(1歳)父の仕事の関係でハバロフスクに移住。
・1911年(2歳)妹・イリーナが生まれる。
__エキゾチックな容貌を持って生まれる子供たちに、
__母は凡庸すぎるまでにロシア的な名前をつけることを望んだ。
・1914年(5歳)第一次世界大戦勃発。ハバロフスクは極東の地ではあったが
__戦乱を避け、父の仕事のつてもあり、家族で横浜に移住する。
・1915年(6歳)近所に住むみっちゃんに初恋。
__黒髪と大きな目が印象的な可愛い子だった。
__物怖じしない性格で、友達の少ないイワン、イリーナと仲良くしてくれた。
__徐々に友達も増える。子供ゆえ言葉はすぐに慣れたし、どの地でも異邦人ゆえ、
__周囲とうまくやる努力は身についた術だった。
・1916年(7歳)みっちゃん家族が突然いなくなる。「事業に失敗して夜逃げしたらしい。
__5人兄弟の末っ子のみっちゃんは、その後裕福なアメリカ人家庭に養子に
__貰われたらしい」と風の噂に聞く。
・1917年(8歳)ロシア革命が起こる。新聞の報道に父母は緊張した面持ちを見せた。
・1918年(9歳)日本語が堪能な兄妹だが、地元の学校に通えるはずもなく
__外国人学校に通いだす。
・1919年(10歳)第一次世界大戦終結。
・1922年(13歳)童謡「赤い靴」が発表される。
__みっちゃんを思い出し切なくなるからこの曲は嫌いだった。
・1923年(14歳)9月、関東大震災。横浜でも大きな被害が出る。
__朝鮮人と間違われた母に敵意が向けられたが、家族の団結と裕福な山の手に
__住んでいたことで被害は免れた。
__そうした混乱のさなか、みっちゃんと再開する。横浜に戻っていた家族を心配し
__様子を見に来、幸せな少女時代住んでいたこの辺りも訪ねてみたのだった。
・1924年(15歳)みっちゃんと文通が続く幸せな日々。
__一方で父の仕事を傍に見ながら、通信技師の仕事を覚えていく。
・1926年(17歳)女学校に通い多少自由な外出ができるようになったみっちゃんと、
__イリーナを交え、時々会う。
・1927年(18歳)みっちゃんと将来を誓い合う仲となる。
__とはいえ、当然清い関係のままである。
・1928年(19歳)学校を出、父の仕事を手伝ったり、ラジオ放送や映画館の仕事を
__あちこち手伝って回る。
・1929年(20歳)アメリカの株価大暴落をきっかけに世界恐慌起こる。
・1930年(21歳)昭和恐慌。イリーナのアメリカ人の恋人が自殺未遂。
__世界恐慌で家が破産、両親が心労で亡くなり、後を追うつもりだったという。
__「私を置いていく気だったの!!」と怒りつつ、心配だから一生一緒にいると、
__イリーナ結婚。
・1931年(22歳)満州事変。みっちゃんに外務省官僚子息との結婚話が持ち上がる。
__が、みっちゃんの固辞でお流れとなる。
__イワンの両親は二人の仲を気づいているようだったが、
__外国人であり複雑な混血である自分、みっちゃんの家庭状況を思うと
__なかなか言い出せない、すっかり日本人的に育っていたイワンであった。
__「イワンのばか」とみっちゃんが言ったかどうかは定かでない。
・1932年(23歳)上海事変、満州国建国。血盟団事件、五・十五事件。
__世界は血生臭くなってゆく。
・1933年(24歳)世相が暗転してゆくなか、はじめてみっちゃんと結ばれる。
__結婚を決意、双方の両親に許しを願うが、
__みっちゃんのアメリカ人両親に大反対されてしまう。
__横浜に住む本当の両親は何も言わなかったそうだ。
・1934年(25歳)アメリカでニューディール政策が始まり、
__それに賭けることにしたイリーナと夫、渡米。
・1935年(26歳)みっちゃんの両親も帰国することになる。
__みっちゃんは半ば出奔して日本に残る。
__同棲。入籍。やっと一緒にいられるささやかな幸せ。
・1936年(27歳)外国人に対する風当たりは厳しくなる。
__両親はソヴィエト帰国を考え始める。
__荷物整理の途中、父がロシア革命に関わっていたことを知る。
・1937年(28歳)7月、盧溝橋事件、日中は戦争状態となる。
__9月、ヨーロッパから第二次世界大戦始まる。両親は帰国を決める。
__イワンは残ろうとしたが(幼い頃のロシアの記憶しかなく、
__ソヴィエトはイワンにとって知らない国である)、世相はすでに
__外国人には危険な状態にあった。イワンもソヴィエト行きを決意。
__当然一緒に行くつもりであったみっちゃんを、「どうしてもダメだ」と置いていく。
__「なぜ?」みっちゃんは泣き崩れるが、かの地は日本人のみっちゃんには
__危険であり、また父の秘密のことが重くのしかかっていた。
__だがこのとき、イワンはみっちゃんが子供を身篭っていることを知らなかった。
・1938年(29歳)渡ソ後、父は諜報部の要職につく。イワンも入隊し通信部隊に入る。
・1939年(30歳)ハバロフスクに住む母を経由してのみっちゃんとのやりとりは、
__戦況が拡大するなか、疎遠になってゆく。
・1941年(32歳)独ソ開戦。12月真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦。
・1945年(36歳)2月硫黄島、4月沖縄本島にアメリカ軍上陸。
__数度にわたる東京大空襲。
__5月7日ドイツ無条件降伏。29日横浜大空襲。
__8月6日アメリカが広島に原爆投下、8日ソ連が日本に宣戦、9日長崎に原爆投下。
__8月15日ポツダム宣言受諾、終戦。
__8月30日、アメリカ軍第8軍が横浜に進駐。ホテル・ニューグランドにGHQと
__AFPAC(太平洋陸軍総司令部)が置かれる。
__日本語に堪能で横浜に詳しいイワンもGHQとして横浜に派遣される。
__8年ぶりの故郷・日本であった。
・1946年(37歳)激務のなか、みっちゃんの消息を訪ね歩く。再会。固い抱擁。
__巌と名づけられた息子は8歳になっていた。
・1951年(42歳)戦後処理を終えGHQ活動停止。イワンは除隊し、
__日本に生涯住むことを決める。
__はじめて家族そろっての穏やかな日々が始まる。技術は平和のために使うと誓う。
・1952年(43歳)混乱の中、それでも家族そろって再会できたことを喜び、
__横浜の地で精一杯生きてゆく。
・1954年(45歳)前年スターリンが死亡、戦時中から行方不明になっていた父が
__ハバロフスクの母の元に帰ったという。
・1956年(47歳)日ソ国交回復
・1958年(49歳)横浜開港100年祭
・1960年(51歳)技師として建設に関わってきた横浜マリンタワー完成。
・1961年(52歳)横浜-ナホトカ間(そのまま列車でハバロフスクへ)の定期航路開設。
__両親が25年ぶりに横浜を訪れる。機を合わせアメリカからイリーナ家族も横浜に。
__巌23歳(通信技師)、イリーナの娘キャシー26歳(既婚、子供二人あり)、
__息子ジョン23歳(大学院在学中)も含め、家族全員が初めて顔をあわせた。
__両親は約1ヶ月の滞在後帰国。そのすぐ後、「私は満足だ」と告げ、
__眠るように母は波乱の生涯を閉じた。遺灰はほんの少しを残し、
__父の手でアムール川に流された。
・1962年(53歳)母を追うように父も亡くなる。
__遺言で遺灰はアムール川に流したとハバロフスクから手紙が来た。
__戦後復興、高度成長と日本社会が発展していくなか、
__技師としてイワン・巌親子は横浜の数々の事業に参加する。
・1964年(55歳)根岸線開通。
・1968年(59歳)東名高速道路(東京IC-厚木IC)開通、首都高速道路横羽線開通。
・1972年(63歳)横浜市営地下鉄開業(それに先立ち3月、横浜市電、
__トロリーバスが全廃されたのは寂しくて泣けた)。
・1978年(69歳)横浜スタジアム完成。
__大洋ホエールズが本拠地を川崎球場より正式移転。
__チーム名を横浜大洋ホエールズとする。勇んでファンクラブ入会。
__ちなみに巌は24歳で幼馴染と結婚。女の子と男の子をもうける。
・1969年(60歳)還暦に赤いちゃんちゃんこを着たいと言い出し、周囲を驚かす。
__愛妻みっちゃんと孫娘の共同制作による赤いベストを着てご満悦であった。
__みっちゃんは(有)イワノビッチ通信技術の経理担当専務として
__会社を支え続けたが、還暦を機に後を嫁に任せ引退。
__「まだまだ現役。この技術が活かせるうちは!」と元気溢れる
__イワン爺さんを温かく見守る。
・1979年(70歳)さすがのイワン爺さんも古希を機に引退。
__愛するみっちゃんと共に、愛する横浜を応援することに専念。
__一方で、ソ連軍、アフガニスタンに侵攻。イラン革命。翌年イランイラク戦争。
__再びきな臭くなる世界に胸を痛める。とはいえ、日本は平和であった。
・1985年(76歳)ソ連にゴルバチョフ政権誕生
・1988年(79歳)1983年東京ディズニーランド開園、88年にTDL最寄駅として
__JR京葉線「舞浜」駅が開業、全国的に有名になると、「浜といえば横浜」の
__イワン爺さん、憤懣やるかたない。
・1989年(80歳)昭和から平成へ。東欧革命、ベルリンの壁崩壊。
__激動の昭和、半生を振り返り感慨。
__横浜市制100周年、開港130周年記念「横浜博覧会 (YES'89) 」開催。
__「横浜ベイブリッジ」開通。中央地区の町名、住所表記が「みなとみらい」に決定。
・1991年(82歳)12月26日ソビエト連邦崩壊
・1992年(83歳)横浜大洋ホエールズが親会社大洋漁業のマルハへの社名変更により、
__企業名をはずし、横浜ベイスターズにチーム名を変更。
__ちょっと寂しい思いを抱きつつも、応援する情熱に陰りはない。
・1993年(84歳)5月 『横浜・八景島シーパラダイス』オープン。 当然オープン初日に行く。
__5月 Jリーグ開幕。横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)、横浜フリューゲルスが加盟。
__早速ファンクラブに入会、最高齢会員となる。
__7月 『横浜ランドマークタワー・プラザ』オープン(現在日本一の高さのビル)。
__古き良き横浜、自分も作ってきた横浜が変わっていくのを寂しく思いつつも、
□□技術が平和裏に利用され社会が発展してゆくのならそれに越したことはないと、
__横浜を愛し続ける。
・1996年(87歳)だいぶ前からイワンの横浜応援活動に同行しなくなっていた
__みっちゃんだが、暑い暑い夏の日、「そういえば私、あなたの寒い故郷の地に
__行ったことなかったわね。私はずっとこの横浜にいた。あなたと出会って、
__別れて、再会して、繰り返して、またずっと一緒に生きて来られたここが大好き。
__いろいろあったわね。愛してるわ」そう言って、一人先に逝った。
・1997年(88歳)悲しみに泣きくれる日々。
・1998年(89歳)このままイワン爺さんも後を追うのかと思われたが、
__春の甲子園で横浜高校が優勝。
__元気を取り戻すきっかけを得る。夏の甲子園の出場も決まると、
__横浜市民応援団名誉会長に就任(もとより横浜愛MAXで有名な爺さんである)
__最前列での大ハッスル応援を試みるが高齢を心配した周囲に止められる。
__松坂大輔の大活躍で横浜高校が春夏連覇。
__10月には、横浜ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝、日本一となる。
__まさに横浜の1年、至福の年。
__完全復活し、みっちゃんの分まで横浜愛を貫くことを誓う。
・1999年(90歳)前年のハッスル応援振りが話題となり、横浜関連のイベントには、
__横浜を愛する市民代表として開会式等に呼ばれるようになる。
・2002年(93歳)サッカーワールドカップ決勝戦が
__横浜国際競技場(日産スタジアム)で開催。
__チケットGETに成功、若者に混じってフェイス・ペインティング、
__青いユニフォームを着て観戦。
・2008年(99歳)アメリカ大統領選に乗じて福井県の「小浜」市が名を上げ、少々憮然。
・2009年(100歳)横浜開港150周年 - 開国博Y150開催。
__横浜市主催で、横浜アリーナで100歳祝賀記念パーティー開催。ますます元気。

__【菊池しのぶ】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


【手題】あぁイワンとみっちゃんの、この美しく清い愛の大河ドラマ・・・
・・・ねぇお題尽・・・あれ?お題尽?

【お題尽】うううう・・・・ずるずる・・・・・うううう・・・・・じゅるずる・・・

【手題】あ~ぁ・・・お題尽、涙、涙、あぁ鼻水も・・・あぁ涎、涎・・・
・・・ハイ、ハンケチ

【お題尽】チーン、チーン・・・手題よ、横浜行きのチケット2枚じゃ!

【手題】市長にかけあって、映画製作委員会でも立ちあげますか!

【お題尽】いや、山下公演にイワン・イワノビッチの銅像を建てるのじゃ!
帰りに萬金楼で豚まん買うてな!