三遊亭圓朝の墓の隣に「ぽん太」と書かれている墓があるのをご存じだろうか。
圓朝の墓と同じ敷地…というのだろうか、同じ囲いの内側、向かってすぐ左隣にあるのである。
私が監修した『もう一度学びたい落語のすべて』(2008年、西東社)に写真を掲載してある。文字までは判読しづらいが、位置関係ははっきりとわかる。
はじめて圓朝の墓に参って以来、「ぽん太」のことが頭から離れなかった。
ぽん太っていったい誰なんだろう?
狸か?
飼っていた犬の名前か?
結論を先に言おう。
ぽん太は、圓朝の愛弟子だった。
『古今東西落語家事典』(1989年、平凡社)によれば、本名は加藤勝五郎、天保3年生まれ(逆算)、明治14年6月6日没。
元は髪結の下剃。少々足りないが愛嬌に富むところから(1)圓朝が弟子にして、ぽん太の名で高座にあげた。浅草金龍寺に過去帖が残っているという。
同事典には、ほかに二人、ぽん太という名前が並んでいる。一人は『文之助系図』に出ている人で、四代目圓生の門人とされていて、年代については「明治後半?」とある。
もう一人は、本名岡崎義繁、『浅草繁昌記』にあるが、『文之助系図』と同一人物かも知れないとのこと。
つまり、明治前半までと明治後半とで、二人の「ぽん太」という噺家がいた可能性があるということになる。
この記述に出会ったのは、実はごく最近だ。同事典の後ろに付いている「索引小辞典」に掲載されていたもので、まさかぽん太が出ているとは思ってもみなかったから、調べようともしなかったのだ。
圓朝研究の金字塔、永井啓夫『新版三遊亭円朝』(1998年、青蛙房)を調べたが、出ていなかった。
圓朝を描いた評伝小節に出ていたよ、と稲田和浩が教えてくれた。正岡容のものも、 小島政二郎のものも、ずっと以前に読んでいるのだが、覚えていない。近々読み返してみようと思っているのだが。
そういうわけで、ぽん太が何ものか知らないものと思し召せ。
頭の中にカケラでも残っていると、関係ない本を読んでいるときに何かの拍子で目に引っかかってくることがある。
篠田鉱造『幕末明治 女百話』(上下巻、1997年、岩波文庫)を読んでいたときにそれが起きた。「ぽん太」の文字が私の目に飛び込んできたのだ。
『幕末明治 女百話』は、幕末明治を生きた女性の談話を集めた聞書き集で、1932年(昭和7)に出版されている。
この本によると、ぽん太は有名な新橋の芸者であった。
ぽん太は、明治の紀文とうたわれた鹿島清兵衛に嫁いだ。鹿島は「玄鹿館といって、 写真のため、お金を湯水のように遣ったばかりでなく、和楽と音楽とを合奏させたり なんかして、眼新しい耳新しいことを滅多八鱈にやった人なんです。明治二十八年七月十八日の、玄鹿館開業式には、大袈裟な余興御馳走で、世間を驚かしちゃったんです。度肝を抜かれたといったもので、当時何百両かかったものか、団十郎の娘二人に躍らせ、新橋芸妓の踊、和洋合奏なんかで」派手にやって、大いに話題になったという。
なにィ、ぽん太が芸者〜?
こいつは面白いことになってきた。
芸者で、しかも人妻。
圓朝とぽん太との関係はいったい…?
同じ墓所の中に墓が並べてあるについては、どんな物語がそこにはあるのだろう?
おそらく圓朝の生前にはものすごい修羅場が展開されたのでは…。
とまあ、思ったわけ。そのときは。
年代的にもどうやら合いそうだし、この本には「ぽんちゃんは寄席の舞台まで踏んで」云々などとも書かれているから、「これは間違いない!」と。
この記述を見つけたときは、ドキドキしたなあ。
鹿島清兵衛がその後どうなったかというと、おごる平家は久しからず、やがて零落した。
しかし、ぽん太はよく清兵衛を支えて、ともに苦労し、最後も見送ったという。
ぽんちゃんの写真姿といったら、美人写真でどんなにか、新橋の若い妓を、羨ましがらせたんでしょう、ソレがアンな惨めな風になって、ソレでいて、夫婦が汚くなって稼 いでいるんですから、アレを貞女と認めない人はなかったでしょう。
清兵衛は写真に凝っていた。写真のために大金を投じ、ぽん太をモデルにして写真を撮ったらしい。
となれば、ぽん太の写真が見たい!
スケベ心ではない。
それが人情というものである。
志あらば意おのずから通ず。
これも探そうとして探したわけではない。書店散策をしていたら、目に飛び込んできたのだ。
ポーラ文化研究所『幕末明治美人帖』(2009年、新人物文庫)。
写真が出ている。
おお、たしかに美しい。
目尻がきりっと上がって、かなりタイプだ(そんなことはどうでもいい)。
もう少し詳しいプロフィールが出ていた。
ぽん太は、1880(明治13)年、品川の生まれ。本名は谷田えつ。「新橋の玉の屋からお酌として披露目して以来、才能と美貌で評判になり、西に大阪宗右衛門町の富田屋八千代、東に新橋のぽん太といわれた。」
面白いのはそれに続くくだりだ。
ぽん太や芳町奴のように名妓といわれた名前は、よほどの場合でないと花柳界ではのちの人に継がせなかった。これを止め名といった。ぽん太は、のちに二代目ができたが、 初代ほど名声はあがらなかったという。
「止め名」は、いま落語界で話題のキーワードだ。「圓生」襲名をめぐっていろいろな動きが人々の関心を呼んでいるからだ。
話が落語に戻ってきてしまった。
「止め名」は花柳界の用語でもあるのか。花柳界から落語に来たのか、それともその逆なのか…。
ということで、圓朝のぽん太は芸者でなかったけれども、勘違いしたおかげで、一人の美人を知ることができた。
『幕末明治美人帖』に掲載されているぽん太の写真は一枚だけだが、おそらくもっとあるだろう。
きっとそのうちまた、私の目に飛び込んでくることだろう。


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