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日本史KY列伝
国史風俗ライター堀五朗が送る、新説人物伝。あなたの周りにもいるKY(空気読めない)さん。そんなKYさんが歴史上にもい~っぱいいる。偉業を成し遂げたあの偉人も、名君といわれるあの人も、実はKYだった?
 

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第4回 日野富子

2010年07月23日

第4回 日野富子
応仁の乱の引き金を引いてしまった室町猛女のKYな性

 

 室町幕府将軍室の日野富子は、応仁の乱を引き起こした歴史的な悪女と名高い、怖~い女性。女だてらにやりたい放題! 裏金を儲けるは世論は自分の思い通りに操作するわ、その悪名に恥じないKYっぷりでした。


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盲目的に突進するタイプのKY

 日野富子といえば、室町幕府の引きこもり将軍足利義政の奥方です。“悪女”とか“守銭奴”とか“闘う女”なんて呼ばれてますね。
 そしてKYな彼女のせいで、天下を二分する応仁の乱(応仁・文明の乱)が起こったとされています。
 だいたいKYな人って、過保護な環境から自己中心的で無神経なキャラになってしまうものですが、富子さんの場合はちょっとちがうのかもしれません。女の“業”というか、何かに取り憑かれたようにやみくもに突き進んでいって、周囲が見えなくなってしまう。で、やってしまったという、猪突猛進型のKYじゃないでしょうか。

 

閨房の刺客! 美少女・富子

 日野家は藤原北家を始祖とする名門です。室町時代は将軍(3代足利義満以降)の正室に女子を送り込み、親戚関係を結ぶことで権勢を得ていました。
 富子は16才の時に8代将軍足利義政(20才)に嫁ぎます。義政の父は嘉吉の乱で暗殺された6代将軍足利義教(よしのり)、そして母は日野重子。富子にとって姑は祖父の妹なので、大叔母というわけ。重子はなかなかのやり手で、ある目的で富子を抜擢したようです。

 

 義政には今参局(いままいりのつぼね)という強力な女がいたんですね。将軍より10才くらい年長だから、母であり姉であり恋人でもあるというフェロモン美女。この女が幕府内で幅を利かせていた。これに対抗するために、日野家から正室として送り込まれたのが富子だったんです。いわば閨房の刺客。富子は聡明でなかなかの美少女。重子は富子に期待をかけます。

 

 富子はその期待に応えました。義政が美少女富子に食いついたんです。すぐにご懐妊。念願の男子が生まれました(女の子という説も)。大喜びの重子と富子でしたが、この子がすぐに死んでしまう。落胆する日野家の面々。
 しかし転んでもタダじゃ起きない彼ら。「今参局が若君を呪い殺した」という噂を流して、ライバルを追い詰めました。結局、今参局は追放され、自ら命を絶ちます。
 この勝負、勝者は20才になったばかりの富子でした。

 

母の業火が、京の町を焼きつくす

 この時期、全国的に大飢饉が起こって餓死者が京だけで8万人以上も出るという異常事態にありました。ところが将軍・義政は何ら対策を打つこともなく日々酒色に耽り、趣味の庭作りにいそしんでいた。おまけに政治が面倒になったのか、出家していた弟に将軍職を譲って隠居するといい出したのです。この弟が足利義視(よしみ)です。後見人に幕府の実力者・細川勝元を立てました。

 

 しかし翌年に富子が男子を産んでしまった。新たな後継者ですね。富子は誓います。
  「この子を必ずや将軍にしてみせる!」
 これでスイッチが入っちゃったんですよ。彼女は愛息・義尚(よしひさ)の後見人に、もう一人の実力者で勝元の最大のライバル山名宗全を指名します。

 

 将軍後継をめぐるこの両者の対立が、義視・細川勝元ラインvs富子・義尚・山名宗全ラインに分かれての市街戦=応仁の乱となる。母のわが子に対する強い想いが大乱の引き金を引いてしまったんです。


  飢饉に加え、一揆が頻発する滅茶苦茶な世相を無視して、富子は戦争に加担します。義視を追い落とすために情報戦を仕掛け、また諸大名に金をばらまきました。もともと日野家は金持だったんですが、富子はさらに高利貸しや米相場で莫大な資産を築いていたんです。

 富子による様々な工作活動によって、義視と細川勝元の間に不和が生じ、義視が寝返るという珍事が起こります。そこで今度は富子は東軍の勝元と手を握るなど、敵味方が入り乱れた全面戦争となりました。

 

KYな性(さが)が生んだ破滅への暴走

 戦争の結果、登美子の暗躍もあって晴れて義尚は9才で9代将軍に就任します。富子は母として幸福の絶頂にあったはず。義視は京を追われ、義政は引きこもり状態ですから富子が裏の将軍と言ってもいいでしょう。政治家として実質トップの座を手にしたというわけです。


  だけどいいことは続かない。愛する義尚が反抗期を迎えます。富子は何かと口うるさい性格だったんでしょうね。 

 16才の義尚は富子の姪と結婚させられます。この結婚が気に入らなかったのか、あるいは父親似の好色のせいか、義尚は次々と女性と関係し、父・義政の愛人にまで手をつけてしまう。それで義政・富子と三つ巴の喧嘩をおっ始め、「将軍をやめてやる!」と髻(もとどり)を切る恥ずべき事件を起こしてます。


  義尚は19才で家出して母のもとを去る。そして近江の紛争を鎮圧するために出陣しました。母の後ろ盾がなくても立派な将軍であることを示したかったのでしょう。しかし彼は陣中で酒色に溺れ、病に倒れました。駆けつけた富子の看病もむなしく、25才の若さで亡くなるのです。

 

 富子は慟哭したといいます。普通ならここで燃えつきてしまうところでしょうね。だが富子という女性はちがうんです。何を思ったか、追放した義視の子・義材(よしき)を担ぎ出すんですね。義材は富子の妹の子。彼に義尚の面影を見たのでしょうか。一方の義視・義材親子は迫害を受けた恨みを忘れてはいません。義材が将軍になると、逆に富子を攻撃するようになります。


  そこで富子は細川政元(勝元の後継者)と謀って、自分で担ぎ出しておきながら義材を退け、堀越公方政知の子義澄(よしずみ)を擁立します。このクーデター劇は明応の変と呼ばれ、戦国の世の幕開けを象徴する事件として記憶されます。
 日野富子はそのKYな爆走で応仁の乱だけでなく、戦国時代の扉まで開けてしまった女性だったんです。彼女は政変から3年後、57才で亡くなります。その巨額の遺産が何に使われたのかはよくわかっていません。


  天国の足利義政と日野富子、夫婦の会話。
義政「お前の政治家としての力量、剛腕ぶりは誰もかなうまいな」
富子「あなたが無能な将軍だから、仕方なかったのよ。私なりに一生懸命やっただけ」
義政「だけどお前はいったい何がしたかったんだ? 最初は息子LOVEで暗躍して、息子が反抗すれば次、そいつもダメなら次、ってやりたい放題じゃないか。結局何が残った?」
富子「じゃあ、あなたはどうなの。何を残したっていうの?」
義政「私は政治の代わりに、文化を残した。銀閣寺は世界遺産だよ。お前が残したのは屍の山だけだろう…」
富子「………」

 

 

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妻として、政治家として、経済人として、文化人として。日野富子の多角的な研究本。

 

 

日野富子が俗にいう“悪女”ではなく、室町幕府の陰の実力者であったと解説。

 

 

日野富子を鎌倉から室町という時代の連続性の中でとらえる。北条政子との比較で、富子の実像が浮かび上がる。

 

 

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